大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成3年(う)857号 判決 1992年1月21日

国籍

大韓民国(慶尚北道達城郡玉浦面盤松洞八〇九番地の二)

住居

神戸市長田区上池田四丁目一番一号

靴製造業

田中茂雄こと 陳永述

一九二二年六月九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成三年七月九日神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

検察官 朝倉安藏 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人土井平一、藤本尚道連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、原判決の刑は刑期及び罰金額が重過ぎる、というものである。

しかし、記録を調査し、当審での事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決が、量刑の理由として説示するところにより、被告人を懲役一年二月及び罰金三、五〇〇万円に処し、懲役刑につき三年間執行を猶予したのは相当と考えられ、その刑期及び罰金額が重過ぎて不当であるとはいえないから、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木暢茂 裁判官 喜久本朝正 裁判官 氷室眞)

平成三年(う)第八五七号

○ 控訴趣意書

被告人 田中茂雄こと陳永述

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。

平成三年一一月八日

右弁護人 土井平一

同 藤本尚道

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

原判決は、被告人を懲役一年二月(執行猶予三年)及び罰金三、五〇〇万円(労役場留置・日額金二〇万円)に処するものであるところ、以下の理由により量刑不当と思料するので、これを破棄のうえ、適正なる量刑判断をされたく求めるところである。

一、本件公訴事実については、被告人において有罪を認めて争わないところであるが、これは本件公訴事実における各脱税額について、税務当局が調査して主張するところを被告人自身が争わず、細部にわたって検討のうえ反論することをしなかった故に算出され得た数字であって、必ずしも百パーセントの数字ではない。

もっとも、弁護人として、この点につき本件公訴事実を争うという意図は全くない。

被告人が、かように税務当局の調査及び主張を全面的に受容して、本件公訴事実についても全く争わないという態度を取りつづけてきた点をひとつの大きな情状として斟酌されたいと思料するものである。

二、被告人は、韓国人として受ける厳しい差別の中、若年で結婚した妻とともにゴム靴の製造業を営み、戦後日本の混乱期を乗り切ってきたものであって、その間の努力は筆舌に尽くしがたい。周知のとおりゴム業界は韓国人による経営参画が多く過当競争の面もあって、好景気であった一時期を除くと、業界全体が低迷している状況にあり、これの営業を継続していくことにはかなりの困難を伴うものである。被告人がゴム業界での営業を継続していく上においても、不渡手形をつかまされたり、売掛金を踏み倒されたり、売掛先が倒産したりといったことに幾度か遭遇しており、被告人自身の経営にまで危機が及ぶこともあった。

そんな中で、被告人がパチンコ業界に参入する機会を得たのはむしろ偶然であって、パチンコ業界について知識・ノウハウがあったわけでも、パチンコ業界に参入するよう勧めてくれた人物がいたわけでもなく、被告人自身が言うように、ゴム工場の立退をきっかけにして、警察署に飛び込んで保安担当者から教えを乞い、昭和五八年にようやくパチンコの商売を始めたものである。

しかも被告人がパチンコ業界に参入し得たと言っても、どこの駅前にもパチンコ店がずらっと並ぶという過当競争の中で生き残って行くためには、出玉率を高めて顧客サービスに努める必要がある(「釘」を締めると顧客は離れてしまう)ため、売上高の増加は必ずしも利益の増加に直結しない(貸し玉が増えても景品交換が増えれば利益は薄くなる)という事情があるとともに、他店との間に競争力を増すためにパチンコ台の新機種導入や内装のやり替えといった設備投資を短いサイクルで行っていく必要があるため、世間で考えられているほどパチンコ業界で生き抜くことは容易でない。

三、被告人の家族関係をみるに、四人の子供のうち長男が乳幼児当時の病気(高熱)の際における投薬を原因として幼少時以来両耳とも感音性難聴(96dbの聴力損失で、聴力が全く失われた状態である)の状況にあり、学業の意欲も能力もありながらせっかく進学した神戸大学における学業継続を中途で諦めねばならなくなるとともに、同人は聴力を全く失っているため、他人とのコミュニケーションが難しく、通常の社会生活を営むことも困難である(三六歳の現在も独身である)。次男が京都大学医学部を卒業後外科医として社会生活を送るとともに既に結婚していること(尚、次男が医学の道を志したのは、兄が身体障害者であったことが大きな動機となっている)、長女・次女ともに幸せな結婚の道を得た(尚、次女の結婚式は本公判期日の約一〇日後である)ことに比べて、長男の身の上に関しては被告人及び妻にとって常に心配の種であり、また現在のところ長男が被告人のパチンコ業を手伝うしか生きていく道のないことが、被告人をして本件脱税に至らせた大きな動機のひとつとなっている。

殊に、被告人は韓国人であり、前記のとおり厳しい差別の中で戦後日本の混乱期を乗り切ってきた経緯があるため、いざというときに頼れるものが金銭しかないという実感が深く浸透しすぎ、金銭に対する執着心は我々の想像を超えるものがある。

被告人は長男の将来のことや自分達夫婦の老後のことを考え過ぎて金銭に深く執着し、本件脱税を敢行したものであって、納税義務の重大性に心が及ばず、遵法精神に欠けていたとのご指摘を受けてもやむを得ないところであるが、今回、被告人自身も骨身にしみて反省し、後悔の念を深くしているところであって、二度と同じ過ちを繰り返すことなく、今後どのように歩んでいくことが真のあるべき姿かをじっくりと考えた上で人生を建て直しいくつもりである。

四、また、被告人の本件脱税の手口を見るに、売上高の一部を「抜く(除外する)」という極めて単純な手口であり、『赤字申告』をするとかえって税務当局に睨まれて税務調査を招いてしまう事実についても思い至らず、総じて脱税の手口は単純かつ稚拙であって、複雑な手口をもって税務当局を攪乱し脱税の発覚を困難にするような『悪質さ』は全く見られない。

尚、被告人が『赤字申告』をした事実について付言するに、被告人がパチンコ業界に参入した当初、実際に被告人のゴム靴製造の仕事の方では大きな損失(赤字)を受けていたもので、両事業の損益通算によって最終的に『赤字決算』となってしまったものであって、申告の段階で故意に『赤字になるよう操作』をしたわけではない。

この点は申告段階における手続きをすべて税理士に依頼してチェックを受けていた事実からも明らかである。

五、また、被告人自身はみるべき前科・前歴もなく、極めて円満な性格であり、家庭生活においても円満に過ごしているところであって、また、本件に関しては既に税務当局の指示どおりの修正申告手続きを了するとともにすべての納税義務の履行を終えている。

さらに被告人の本件脱税事件が新聞報道されたことにより、被告人のみならず被告人の家族並びに親族一同までが既に大きな社会的制裁を受けている。

殊に、被告人が本件に関連して、修正申告のうえ完納した納税額は、本税として金一億三、〇六五万六、九〇〇円、加算税・延滞税として金六、二〇四万一、四〇〇円である(さらに、昭和六一年分の加算税・延滞税として金二、七六〇万七、五〇〇円を完納している)。

六、かように、被告人は社会的にも経済的に既に大きな制裁を受けているところであって、しかも本件被告事件での有罪が確定すると、風俗営業法の規定によって被告人が個人の資格においてパチンコ業を継続することが出来なくなる(営業許可が取り消される)ことに鑑みれば、被告人は経済的な基盤を失うことになるのであるから、被告人をさらに罰金三、五〇〇万円に処するのは余りに酷である。

また、懲役刑に関して執行猶予を戴いた点には何らの不服もないが、前記の各情状を斟酌されるならば、一年二月の量刑判断は重きに失すると思料されるところである。

七、よって、原判決の量刑は不当と思料するので、これを破棄のうえ適正なる量刑判断を賜りたく控訴に及ぶ次第である。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例